コリアンタウン発祥の地「職安通り」

職安通りの名前の由来は、職業安定所(今のハロー・ワーク)があったためと言われています。
新宿区の大久保・百人町を中心に形成されたコリアンタウンで、通称「職安通り」では、沢山の韓国系商店が軒を連ねています。今では東京最大、日本でも有数のコリア・タウンと言われています。2010年の公式統計によれば、東京都在住の韓国人の人口は約11万人で大阪府に次いで2番目に多いです。


新大久保がに韓国人が住みだしたのは、1960年代後半です。それまで木賃宿が並ぶドヤ街だった新大久保界隈は、戦後になり在日系企業であるロッテの工場が出来た事もあり、ロッテの工場に勤める在日韓国人や韓国からの出稼ぎ労働者が集住し始めました。これが新大久保コリアンタウンの素地であると言われています。


1970年代の新宿職安通りは、在日韓国系の金融機関・東京商銀信用組合(現あすか信用組合)があり、連日多くの在日韓国人が行き来していました。しかし、韓国色はまだ見えず、在日韓国人にも日本人にもサブカルチャーがビジネスに繋がるという認識はまだありませんでした。昨年の韓国ブームからは想像もできませんが、日本には近代期以降故なき韓国蔑視があり、芸能・文化を含むあらゆる面で韓国出身はタブー視されていました。また、メディアに映る韓国像は政治・軍事絡みの恐ろしいもので、一般の日本人には韓国は興味の持ちようのないまさに、「近くて遠い国」でしかない時代でした。


1980年代、職安通りが初期コリアンタウン化し始めました。大久保地域はその後背地として、食材屋、美容院、ビデオレンタルショップ、引っ越し、送金行など彼らの衣食住に係る更なるニューカマー(1980年代以降に来日して在住した外国人)が集まりました。しかし、“緻密な戦略と信頼”をモットーにやってきた戦後から住んでいる在日韓国人達と、“当たって砕けろ、短期決戦”のニューカマー達の間には、確執が生じてしまいます。


1990年代は新大久保がコリアンタウン化するための、助走期になります。職安通りへの店舗が集中し、土地代、家賃が高騰し始めました。日本側ではまだ韓国・朝鮮社会には比較的無関心でしたが、2002年FIFAワールドカップ日韓共催をきっかけに、2005年日韓友情年や、両国間の友好を図ろうとする動きがメディアや在日社会を中心に大きく展開されていきました。

2011/08/17 15:19 入力




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